「答えを持っていない、という答え。——飲み会で答えに詰まった僕の、静かな反省」

「90歳までPTでいるために、具体的にどうするんですか?」

飲み会の席で飛んできた、真っ直ぐな質問。 ずっとこの仕事を続けたいという気持ちは本物だし、そのために日々考えているつもりでした。でも、いざ聞かれると、僕は何も答えられなかった。

ひどくつまらない、表面的な回答を返してしまった自分に、今は少しだけ凹んでいます。

違和感:答えを出そうとした「ダサさ」

今振り返ると、あの場で「それらしい正解」をひねり出そうとしたこと自体が、僕のミスでした。 かっこいい回答をしたい、いい顔をしたい。そんな「ダサさ」が自分の中にあったんだと思います。

本当は、答えなんて持っていなかった。 わからないまま、暗闇の中を手探りで進んでいる。それが今の僕の現在地です。

おそらく、明確な答えが出るのは、僕が60歳や70歳になった時。その時にようやく「あぁ、こうすれば良かったんだ」と言えるもの。今はまだ、模索の真っ最中なんです。

悔しさ:言語化できない、もどかしさ

「わからない」とはいえ、何もしていないわけではありません。 自分の身体で実験し、家族のために家庭菜園を始め、新しい知識を吸収しようとしている。

でも、それらがどう「90歳現役」に繋がるのかを、パシッと言語化できない。 その力のなさが、何より悔しかった。

「口だけで、結果が伴っていない奴になっていないか?」 僕が一番嫌いなタイプに、今の自分が重なって見えてしまったんです。

結び:精一杯の、その先へ

今の生活も、仕事も、自分なりに頑張っているつもりです。 でも、その「精一杯」に甘んじて、思考が止まっていたのかもしれない。

今回の凹みは、僕にとって必要な痛みでした。 「わからない」という状態を正しく受け止め、それでも模索し続ける。 その泥臭いプロセスこそが、いつか60歳の僕が語る「答え」の伏線になると信じています。

今はまだ、口先だけのやつかもしれない。 だからこそ、明日からの仕事、明日からの実験に、もっと誠実に向き合っていこうと思います。


【今回のリーノ・ポイント】

言語化できない悔しさは、未来の自分への期待値。 答えがないまま進む勇気こそが、90歳への一番の近道なのかもしれません。

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