言葉の力、その裏側にあるもの
「有言実行」という言葉があります。 掲げた目標を口に出し、それをやり遂げる。文句なしに素晴らしいことです。
でも、正直に告白すると、僕は昔からこの言葉が少しだけ苦手でした。
言葉には力があります。 自分を奮い立たせ、目標へ向かわせるブースターになります。でも僕にとっては、その力が強すぎて、時々自分を縛りつける「鎖」のように感じてしまうことがあるんです。
違和感:誰のための「実行」か?
僕が小さい頃から密かに大切にしているのは、勝手に作った言葉ですが**「無言実行」**です。
なぜ「無言」がいいのか。 それは、**「常に自分の意志で動いていたいから」**かもしれません。
何かに挑戦するとき、周りに大きく宣言すると、いつの間にか「やらなきゃいけない」という強制力が働き始めます。 もし途中で「これは自分に必要ないな」と気づいても、発信してしまった手前、やめるのにも理由が必要になる。周りからのプレッシャーが気になって、自分の純粋な「やりたい」が濁ってしまう気がするんです。
本音:言葉に伴う「責任」という重み
少し違う視点で自分を見つめ直すと、僕はまだ、多くの人を巻き込んだ時に自分の意志を貫き通す「勇気」が足りないのかもしれません。
言葉を発すれば、そこには責任が生まれます。 一人で勝手に始めて、一人で納得して進むのは気楽です。だからこそ、強く発信して有言実行を貫いている人を見ると、心から「凄いな」と尊敬します。
結論:どちらが「自分らしい」か
今の僕なりの解釈をまとめると、こんな感じです。
- 有言実行: プレッシャーを成長の糧にできる。仲間の力を借りて、一人では辿り着けない大きな場所へ行ける。
- 無言実行: 継続するのは自分次第なので難しい。けれど、継続できた時は「100%自分の意志」から来る強さが宿る。
結局、どちらが正解かは分かりません。 でも僕は、自分が納得して、自分の足で一歩ずつ進んでいる感覚を大切にしたい。
「やりたいから、やる」 「必要ないと思ったから、やめる」
そんな風に、誰の目も気にせず自分の身体や人生と対話できる「気楽さ」が、僕が90歳まで楽しく走り続けるための秘訣なのかもしれません。
今は「無言」が心地よい僕ですが、もしかしたら、いつか。 人生の中で「これは100%の全力で、何が何でも突き進みたい!」という大きな大きな目標ができたときには、あえて言葉にして自分を追い込む「有言実行」を選ぶ日が来るのかもしれません。
そんな時が来るのか、来ないのか。それは僕自身にも分かりません。 でも、その選択肢を未来の自分に残しておきたいな、とは思っています。
ここは僕だけの「秘密の実験室」
ちなみに、こうしてブログで発信はしていますが、これはあくまで僕自身の記録であり、ただの独り言です。
実は、家族や知人にもこのブログのことは一切話していません(笑)。 誰にも見られていない、誰からも評価されない場所だからこそ、僕は僕のままで、ありのままの言葉を綴ることができる。
この「秘密の実験基地」で、今日も一歩、90歳へ向けて歩みを進めていきます。
誰にも言わないからこそ、純度100%の自分でいられる。 秘密の習慣が、いつか誰にも真似できない「自分」を作る。

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