こんにちは、リーノです。
今日は、リハビリの現場で出会ったある女性のお話をさせてください。
完璧だったからこそ、臆病になる
その方は80代の女性。かつてはバリバリと仕事をこなし、今も背筋が伸びるような、とてもしっかりとした方です。
けれど、年齢や病気には抗えない部分もあります。以前は当たり前にできていたことが、ひとつ、またひとつと手元から零れ落ちていく。先日のリハビリ中、ふと、悔しさと悲しみが入り混じったような涙をこぼされました。
そんな彼女を見て、娘さんは「もっと同年代のお友達と触れ合う機会があればいいのだけれど」と心配されています。しかし、おばあちゃんが新しい一歩を踏み出せないのには、ある「言葉のトゲ」が心に刺さったままだからでした。
20年来の友人が残した最後の一言
彼女には、20年ほど親しくしていた友人がいたそうです。 しかし、その方と最後に顔を合わせたとき、投げかけられたのはこんな言葉でした。
「あんたには、かなわないよ」
それ以来、パタリと交流は途絶えてしまったといいます。 おばあちゃんには、競うつもりなんて微塵もありませんでした。ただ、純粋に友人として、対等に付き合ってきたつもりだった。
でも、相手には「かなわない」と思わせてしまう何かがあったのかもしれません。嫉妬だったのか、あるいは劣等感だったのか。真相はわかりませんが、その一言はおばあちゃんの心を深く傷つけ、「人と深く関わるのが怖い」と思わせるには十分すぎる威力を持っていました。
「真面目な人が馬鹿を見る」世の中への違和感
大人になってからの人間関係は、どうしても「損得」や「理由」が絡んできがちです。 けれど彼女は、そんな計算なしに、ただ誠実に人と向き合ってきた。その結果として傷つき、殻にこもってしまう……。
正直な人が損をして、真面目な人が馬鹿を見る。 そんな世の中の流れが、僕はどうしても好きになれません。
過去の自分と、今の僕ができること
正直に告白すれば、若い頃の僕は決して褒められた人間ではありませんでした。 自由奔放で、自分勝手。周りへの配慮なんて欠片もなかった。
でも、理学療法士という仕事を通して、多くの人生に触れていく中で気づかされたんです。自分がいかに周りに助けられていたか。そして、自分のような振る舞いが、どれほど誰かを振り回していたか。
その痛みがわかるからこそ、僕は今、目の前の人に少しだけ優しくなりたいと思えるようになりました。
昔の自分のような「無自覚な刃」に傷ついている誠実な人たち。 そんな人たちが、せめて僕の前では安心して笑っていられるように。
僕は、誠実に生きている人に対して、どこまでも誠実に向き合う人間でありたい。
リハビリの手を止め、涙を拭う彼女の横顔を見ながら、改めてそう心に誓った一日でした。

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